MRIの変な音が心地よくなってきた。私は5月・6月の2ヶ月で何度MRIで頭部を撮影されたのか?
梅雨入り前の6月11日午後1時過ぎストレッチャーに乗せられて、私は手術室に向かった。手術室の印象は、大好きなTV番組であるシカゴ・メッドやドクターXで使われている手術室とは、ローカルの脳外科病院のせいか、イメージが大きく違った。
右内頸動脈狭窄閉鎖症という血管が狭くなっている部分を掃除するトイレのパイプのつまりを改善させるような4時間ほどの手術を受けました。
全身に麻痺などはなく、バイクの乗りすぎで手の痺れたと思い、3つの病院を受診した結果、最後に受診した主治医が「MRIを撮ってみようよ!今ちょうど予約のキャンセルがあるらしい」と言われ私はMRIの撮影に応じました。今考えると「予約のキャンセルとは先生の方便なのか?」「事実ラッキーだったのか?」は不明です。
人間の持つ誠実性を信頼の評価基準にする
1週間前に同じ病院で異なる医師には「問題ないでしょう!」と太鼓判を押され、他の整形外科では、「手根管症候群」と診断されていたのです。私は「誠実性」を基準に人を評価します。ですから、主治医を信頼して、今回の医療機関や手術を信頼しました。信頼とは無条件で任せる態度と私は考えます。
バイクが私を救ってくれた
この手根管症候群は、「振動を受ける職種の方がなりやすい」とネットに記載されていた。今でも私は、手の痺れは、この病気だと考えています。脳外科医からは、手術を強く勧められました。1週間ほど入院して、一度、仕事や私事の整理のために退院しました。脳外科医はMPIの 画像を指し「この血管の細さで、何なんの障害もないのが不思議です?」「症状がないのは、隠れた細い血管がカバーしているのでしょう?」とも言っていました。
考えてみれば、「バイクに感謝!」「主治医に感謝!」なのです。もし、MRIを撮影しないで、突然血管が切れれば大事でした。そう考えると「私はまだまだ、神に生かされれている」「まだまだ世のためにすることがあるんだ」。そう、幸福を感じたのです。
苦しかった手術後たったの18時間
手術自体は、全身麻酔なので、気がついたときは、喉に入れたらしい挿管といわれる管の痛みが「苦しい」としか表現できないぐらい人間のプライドを消し去られた状態で、まるで鮮魚市場に運ばれてくる発泡スチロールに詰められたマグロのようでした。
頭を固定されたまま1時間毎に看護師から尋ねられる質問に私は更に苦しみました。心から2度と味わいたくないと感じました。私は、手術前に予定を立てて購入した昭和時代のバイクフレームやパーツなどを思い浮かべ、バイクの組立の順番を考えていました。仕事のこと、家族のことなどはなぜか考えませんでした。
「あと2台のバイクをレストアして信州の山に登りたい!」
そして、大げさだけど、「あと2台のバイクをレストアして信州の山に登りたい!」と思っていました。そう考えることで、辛さが薄れていくようにも感じました。
人は世の中のために生きる責任があります。自分なりに十分に、それを果たしと感じ得、この気持が満たされれば人は清らか死を受け入れられるのでしょう。
そんな事も考えました。